ああ、憎らしい憎らしい。目の前のこの人は私が言葉にできないことを知っているのだ。
知っていて、口にするのを待っている。獲物を待つ猛獣のように。羽虫を待つ食虫花のように。
紫色の瞳をふんわりと細めて。
銀色の睫毛を見つめていると、手袋ごしの指が首を撫でた。ひんやりとした手袋の温度に肩が震えた。
「・・・何ですか」
首に添えられた手を一瞥して、紫の瞳を睨みつければ、彼の人、イヴァンさんは可笑しそうに喉を鳴らした。
首に添えられていた指は滑るように頬へ流れ、するりと私の頬を撫でた。
意図の読み取れない接触に、私はますます眉を歪めた。手袋越しとはいえ肌が触れ合っているのにもかかわらず、イヴァンさんの手は変わらずに冷たいままだった。
「菊くんはさ」
紫の瞳は、私ではなく、私の頬を滑る己の指を見つめている。
「物怖じしないよね」
僕に、と続けられた言葉は、無感動なようでもあったし、悲しそうでもあったし、嬉しそうでもあった。しかし、私はイヴァンさんではないし、彼が思うところは理解しきるのはとても困難なことであったし、億劫でもあった。
「・・・いいえ」
私が答えると、イヴァンさんはぐっと顔を近付けた。体を壁に押し付けられ、背中で僅かに壁にぶつかる音がした。
睫毛に縁取られた瞳の奥に私が映っている。気が付くとイヴァンさんのもう片方の手がさらりと私の項を撫でていた。項を撫でる指も冷たかった。まるで中身なんて無いみたいに。
ぞくりと背中が震え、腕を突っ張ってイヴァンさんを押し返すと、やはりその顔は瞳を細めて笑っている。
私は、首筋に熱を感じたことなんて絶対に認めたくは無くて、薄く笑うイヴァンさんを睨んだ。
「どうしたの?」
ああ、憎らしい憎らしい。目の前のこの人は私が言葉にできないことを知っているのだ。
知っていて、口にするのを待っている。獲物を待つ猛獣のように。羽虫を待つ食虫花のように。
紫色の瞳をふんわりと細めて。
恋に狂うとは言葉が重複している。恋とはすでに狂気なのだ。