※裏社会っぽいパラレル。菊が結構いい性格になっています。



まったく…ついてない。菊は口には出さず悪態をつき、小さく舌打ちをした。


本田菊。この血と硝煙と影の世界で、その名を知らぬ者はいない。幼くして両親を目の前で惨殺され、復讐を胸に誓い、そのわずか数年後、当時最も力を有していたと言われる、敵である男を殺し、男の組員であった者達をも殺し尽くし、文字通り一つの組織を殲滅した。
復讐を果たした菊は、流れるようにそのまま裏の世界に入っていった。報酬と気分しだいで、どんな相手も殺すというスナイパーとして。

「そして、現在は自らの組織のボス…なんだよね?」
目の前の金髪の青年は、場に似つかわしくない、あどけない笑顔で小首を傾げ、菊に銃を向けている。あまりにも場にそぐわない青年の態度に、菊は如何にも疲れたという様子でため息をついた。
「まったく、よく回る口ですね」
菊は目の前の青年を知っていた。
彼の名はアルフレッド。自分と同業のアーサー・カークランドの弟で、組織のボスである兄を支えるスナイパー。そして、兄のアーサーの組織と菊の組織は、現在は共闘状態で、お互いに不可侵のはずだった。しかし、目の前の青年は、どんな手段を使ったのか知らないが、菊の自室に忍び込み、菊に銃を向けている。
「一体どういったおつもりなんですか?」
突然侵入されたにもかかわらず、菊の手にはしっかりと鈍い光を反射する愛刀が握られていた。
「わぁ、それがカタナかい?アーサーが凄く綺麗なサーベルだって言ってたよ!」
「…私の話、聞いてます?」
アルフレッドは、まるでオモチャを前にした子供の様に青い瞳を輝かせ、菊の手に握られた日本刀を見つめている。菊はもう一度ため息をついた。
「アーサーさんに、私を暗殺して来いとでも命じられたのですか?」
投げやりに菊が問うと、アルフレッドは、如何にも心外だといった風に眉を寄せた。
「違うよ!何でアーサーなんかに命令されなくちゃいけないのさ。それに、アーサーが君の暗殺なんて指示するはずないじゃないか」
「…そうですね」
事実、アーサーと菊の組織の関係は良好で、特に問題は起きていなかったはずだ。
目の前の存在以外は。そうなると、ますますアルフレッドが、この場で菊に銃を向ける意味がわからない。菊は三度目のため息をついた。
「いいかげんにして下さい。私、これでも忙しい身なので」
「いやぁ、菊さえいいって言ってくれたら、すぐ済むよ」
「…なんでしょう」
「オレと闘ってくれないかな!」
「…はぁ」
アルフレッドは、まるで明日の天気を尋ねるかのような軽い調子で、菊に尋ねた。
「…あなた、まさかたったそれだけの為に私の屋敷に侵入し、私の何日ぶりかになろうという貴重な睡眠時間を奪ったあげく、私に銃を向けているというのですか」
よく目を凝らせば、菊の普段は艶々と光を反射する黒髪も艶を失ってパサつき、アルフレッドの兄が黒耀と喩えた瞳にも潤いがなく、白目が赤みを帯びクマがあることに気付いただろうが、生憎アルフレッドはそういった変化には気付かない人間だったし、菊もこの短時間でそのことに気付いていたので、普段はあまり変化することの無い眉を寄せただけだった。
「どうなんだい、闘ってくれるのかい?」
「お断りします」
「えぇー」
アルフレッドは不満げに頬を膨らませたが、手の中の銃は相変わらず菊に向けられている。
「どうしても?」
「はい」
「絶対に?」
「はい」
「だめ?」
「…アルフレッドさん。私、しつこい男は嫌いなんです」
こうした問答を続けている間にも、時間は刻々と過ぎていく。菊はちらりと時計に目をやった。
「とにかく、もうお帰り下さい。今回のことはアーサーさんには黙っておいてあげます。どこから侵入されたかは存じませんが、即刻立ち去」
瞬間、菊は素早く身を低くした。
菊が立っていた壁には黒い穴が空いて、僅かに煙が立ち上っている。
「…私はお帰りくださいと言ったはずですが」
不愉快そうに眉を歪める菊に対して、サプレッサー付きの銃を菊に向かって放ったアルフレッドは明るい笑顔を浮かべている。
「うん、聞いたよ」
ならばなぜ銃を撃たれねばならないのか、反論しようと口を開いた菊に被せるように、アルフレッドは口を開いた。
「君は闘ってくれないって言うけど、こんなチャンス滅多にあるもんじゃないし、撃たれれば闘ってくれるよね?」
とってもいいアイデアだと笑うアルフレッドに、菊は目を細めた。
「…わかりました」
菊は愛刀を手に、ゆらりと立ち上がった。
「その代わり…」
アルフレッドの目には、菊が煙のように消えたように見えた。それ程静かな動きだった。
アルフレッドは僅かに身を屈め、目で菊の動きを追おうとしたが、それよりも早く、耳元で低い声がした。
「簡単に死なないで下さいね」
そう声がしたと同時に首にひやりとした感覚があり、アルフレッドは本能的に身を低くした。
その直後、鈍い光が残像を残しながらアルフレッドの金色の髪を数本さらっていった。屈んだ勢いで、前方へと距離をとり、刀を凪払った体制のまま立っている菊を見つめた。
「避けましたね」
菊は目を細め、口元に歪んだ微笑を浮かべている。
その微笑みに底知れないものを感じ、アルフレッドはぞくりと肩を震わせ、自分の口元が持ち上がるのを感じた。
「思った通り、君とは楽しめそうだ!」
アルフレッドは肩のホルスターからもう一丁、銃を取り出した。自分に向けられている二丁の拳銃を眺め、菊はおや、とアルフレッドを見つめた。
「二丁拳銃ですか」
「そう、いいだろう」
「ふふ、あなたらしいですね」
「それって格好いいってことかい?」
「子供だって言ったんです」
言うが早いか、菊は刀を低く構え、自分に照準を合わされた銃に向かっていった。
「っ!正面からかい」
銃から僅かに火花が散り、一発の弾丸が菊の頬を掠めたと思った直後、握り締めていた拳銃を弾き飛ばされ、アルフレッドの視界が反転した。バサバサという音を立てて、菊の執務机に重ねられていた書類が床に散らばった。

「…強いね」
銀色に光る刃が、アルフレッドの首に添えられ、首筋から僅かに血が流れている。
「あなたも…、意外と頭が回る方のようですね」
アルフレッドを執務机に押し倒す形になっている菊の腹部には、銃を弾き飛ばしたはずの手に握られた、小型の拳銃が突きつけられていた。
「あなたの様な方が仕込みとは、予想外ですよ」
「俺もこんなの邪魔だって言ったんだけど、アーサーがうるさくてさぁ…、でも言うこと聞いておいて正解だったかもね」
「ふふ…ええ、今回は大正解です」
菊は目を細めながら、アルフレッドの上から降り背を向けると、床に放っていた鞘に刀を収めた。
「あれ?もう終わりかい?」
「終わりです」
「えー、俺はまだやりたりないぞ!」
「また、暇があればお相手致します」
「本当かい?」
「はい、ですが…」
そこで言葉を切ると、菊はアルフレッドに向き直り、微笑みを浮かべた。
「再び私の邪魔をなさるようでしたら、その首、跳ね飛ばしてさしあげます」
机から起き上がりながら、アルフレッドは菊に笑みを返した。
「それも楽しそうだな!」
菊の表情は元の無表情に戻り、バルコニーになっている窓を開け放つと、静かに外を指差した。
「こちらからお帰りを」
「さよならのキスは?」
「ご冗談を」
アルフレッドはブーと頬を膨らませながら、バルコニーに足を掛けた。
それを静かに見ていた菊は、アルフレッドが急にバルコニーに身を乗り出しながら振り返ったので、僅かに驚き目を見開いた。
「俺が来たことは黙っておいてね!」
「はいはい、アルフレッドさんが来たことは黙っておきます」
菊がそう答えると、アルフレッドは満足そうに頷き、真っ暗な闇の中に躍り出していった。


菊はそれを見届けると、自分の執務室を振り返った。
床に散乱した書類、アルフレッドの銃によって家具につけられた黒い跡、蹴り倒された椅子。それらを一瞥すると、菊は手のひらで眉間に出来た皺を伸ばしながら、深くため息をつき、僅かに目眩を感じながらも、執務机に備え付けられた黒革の椅子に腰掛けた。
暫くそのままじっとしていたが、思い付いたように、机に備え付けてあるアンティーク調の電話を引き寄せると、手慣れた様子でダイヤルを回し、受話器を耳に当てながら、深く椅子に体を預けた。暫くのコール音の後、不機嫌そうな相手の声が、菊の耳に聞こえた。
「ああ、アーサーさん。夜分に申し訳ありません。本田です」

「ええ。お休みになってましたか?」

「そうですか、それならよかった」

「はい。」

「はい。」

「本当ですか?それは楽しみです」

「…ところで、アーサーさん。あなたのお屋敷に子犬がいらっしゃいましたよね?」

「おや、犬は飼われていない?おかしいですねぇ…」

「ふふ、いいえ?ちょっと、あなたの子犬とよく似た金色の子犬が散々暴れまくったあげく、いましがたお家に帰られたので」

「…いいえ。お名前までは」

「いいえ、申し訳ありません。でしたら私の勘違いでしょうね。あなたの様な見事な金色だったので」

「はい」

「はい」

「はい、ああ、アーサーさん。お茶会のお誘い、ありがとうございます。楽しみにしております」

「…おやすみなさい」
菊は受話器を置くと、暗い天井を見上げた。
「約束は守りましたよ、アルフレッドさん」
俯いて、おかしそうに肩を震わせた後、再び受話器を取り、先程よりも短くダイヤルを回した。
「…ああ、ルートヴィッヒさん?夜分にすみませんが、救急箱とお茶を下さい」

「はい、お願いします」
菊は受話器を置き、座りながら伸びをすると、椅子がギシリと音をたてた。
「ルートヴィッヒさんに何て言いましょうかねぇ…」
散らかった部屋を横目に眺めながら小さく呟くと、月明かりに照らされた天井を見上げ、目を閉じた。